長屋王の変の原因は光明子(光明皇后)の立后だった!

光明子(光明皇后)

立后りっこうとは正式に皇后になったと
公表することです。


光明子こうみょうし
第45代天皇・聖武天皇に嫁ぎ、
のちに光明皇后になりますが、
その道は険しかったようです。


どのような事が起こったのか
みていきましょう。

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光明子(光明皇后)の兄・藤原四子

聖武天皇の夫人だった光明子には
とても頼もしい兄たちがいました。

光明皇后系図


藤原武智麻呂むちまろ
藤原房前ふささき
藤原宇合うまかい
藤原麻呂の四兄弟です。


のちに
この四兄弟が朝廷の実権を握り、
藤原四子しし政権
と言われるようにるのですが、
父・藤原不比等が亡くなった頃は
まだ下っ端でした。

不比等の後
実権を握ったのは長屋王

長屋王は
皇太子級の扱いを受けていた
高市たけち皇子の息子で、

両親ともに天皇の子という
かなり嫡流に近い人物でした。

この長屋王は
母親が皇族ではない聖武を
天皇としてふさわしくないと
考えていたようです。

聖武天皇が生母の宮子に
大夫人だいぶにん」の
尊称を与えたことに異議を唱え、
勅を撤回させたのです。

病弱な夫、聖武天皇を支える
光明子は胸を痛めたことでしょう。

もちろん四人の兄たちも
憤りを感じたはずです。

こうして四兄弟(藤原氏)と
長屋王(皇親勢力)との溝が
深まっていきます。

長屋王の変

727年。
光明子がもといを生むと聖武天皇は喜び、
生後一か月で立太子したのです。

しかし
「そんな前例はない!」
と、長屋王は無視。

水を差されても皇太子の誕生に
光明子や藤原氏は浮かれていました。

ところが
基王は1歳で亡くなってしまうのです。

しかもその前後して
聖武天皇のもう一人の夫人、
県犬養広刀自あがたのいぬかいのひろとじが男児を生みました。

これは光明子ら藤原氏には
大きな打撃となります。

その男児が
皇太子になるかもしれないのです。

四兄弟
四兄弟

いやいや、光明子にまた男の子が生まれるだろう、光明子が生んだ子だけが嫡子となるためには光明子の立后しかない。


もちろん長屋王はOKしません。

皇后は天皇の代わりに
即位する可能性があるため
皇族であることが望ましかったのです。

四兄弟
四兄弟

よくよく考えてみれば病弱な聖武天皇にもっと男児を、と期待するのが無理ではないだろうか。


そうなると
長屋王が天皇になる可能性が
非常に高くなり、
藤原氏が排除される危険があります。

四兄弟
四兄弟

それはダメだ!


そして藤原四兄弟は
長屋王邸を襲撃し、
長屋王と妻子を自殺に追い込んだのです。

この事件は
聖武天皇も承知していたようです。

20人以上の兵を集めるには
天皇の許しが必要だったから、
事前に知っていたことになるでしょう。

光明子 立后する

目の上のたんコブだった長屋王を没して
藤原四子と言われる時代になりました。

もう反対する者はいません。
光明子は立后します。

仁徳天皇の皇后・磐之媛命いわのひめのみこと以来、
300年ぶりの人臣からの皇后誕生です。

この光明皇后のあと
藤原氏から皇后になる者が
続いていくことになるのです。

光明皇后

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まとめ

光明子が皇后になってから
子を生むことはありませんでした。

聖武天皇の男児は成人せず、
光明子の娘が
孝謙天皇として即位するのです。

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