日本史の中で
何人もの女性の名が
挙がってきますが、
「北条政子」は
特に有名ではないでしょうか。
「御台所」「尼御台」「尼将軍」などの
あだ名で呼ばれるほど、
政子の功績は大きいようです。
ここでは北条政子とはどんな人物で、
やったことを簡単に紹介していきます。
北条政子の経歴
北条政子が生まれたのは
平安時代後期の保元。
京の朝廷で院政が始まり、
院政を行う上皇の座を巡って
保元の乱が起こった頃でした。
政子の経歴です。
年齢 | |
0歳 | 政子誕生 保元2年(1157年) |
20歳 | 源頼朝と結婚 長女・大姫を出産 |
23歳 | 夫・頼朝挙兵 |
25歳 | 長男・頼家を出産 亀の前事件 |
29歳 | 次女・三幡を産む |
35歳 | 次男・実朝を出産 夫・頼朝征夷大将軍に任命 |
40歳 | 長女・大姫が20歳で死亡 |
42歳 | 夫・頼朝、落馬が元で急死 次女・三幡、14歳で死去 |
43歳 | 十三人の合議制始まる 梶原景時の変 |
46歳 | 比企能員の変 |
47歳 | 長男・頼家死去 次男・実朝が将軍、父・時政が初代執権に就任 |
48歳 | 牧氏事件 |
56歳 | 和田合戦 |
58歳 | 父・時政死去 |
61歳 | 朝廷から従三位に叙される |
62歳 | 次男・実朝が孫の公暁に暗殺される 藤原頼経を擁立、後見として将軍の代行 |
63歳 | 承久の乱 |
67歳 | 弟・義時が急死 伊賀氏の変 |
68歳 | 嘉禄元年7月11日(1225年8月16日)死亡 |
波乱万丈のひとことに就きますね。
藤原頼経の後見になったことで
「尼将軍」と呼ばれたのですね。
北条政子、なぜ出家?
北条政子が出家したのは
夫の源頼朝が
亡くなって以降と思われます。
娘ふたりと夫が立て続けに亡くなり、
さすがの政子も消沈し、
後を追おうとしました。
しかし、
息子たちの行く末を心配し
思いとどまったようです。
せめてもと、
夫たちの魂を弔うために
出家したのでしょう。

また、出家することで
「再嫁しない」という、
意思表示をし
遺された息子たちを立派に
育て上げなくてはいけない、
と覚悟したのでしょう。
北条政子の生き方
北条政子は「悪女」だといわれますが、
そうではなく芯の強いひとなのです。
源頼朝と出会い、
ともに鎌倉幕府を作り、
支えた人生なのです。
そのためには
父や子への情を捨てもしました。
(比企能員の変・牧氏事件)
鎌倉幕府を守ることが
頼朝への愛情の証では
なかったのでしょうか。
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