北条政子の家系図 鎌倉幕府は政子から始まった!

北条政子

「いざ鎌倉!」
ということわざをご存知ですか?

これは鎌倉幕府に
一大事が起こったら直ちに駆けつける、
という意味です。


こんな故事がのこる鎌倉幕府に
北条政子は大きく関わっているようです。

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北条政子の北条氏とは

北条氏は伊豆の北条地域に
土着した一豪族でした。


一応、第50代桓武天皇の血を引いた
桓武平氏の中で平直方たいらのなおかたを祖とする
板東平氏の出身だということですが、
系譜も定かではない家柄です。


一方、第56代清和天皇の血を引いた
清和源氏の中で主流の
河内源氏出身の源頼朝は、
北条家よりはるかに家格が上でした。


そんな格差のある政子と
頼朝が結婚できたのは、
頼朝が流人だったからでしょう。

北条政子の父親とは?

北条政子の父親は北条時政
のちに鎌倉幕府の
初代執権になる人物です。


娘の政子と頼朝が恋仲になった時、
平氏である時政は反対はしましたが
結局は許しました。

北条時政


これが頼朝の最初の妻といわれる
八重姫の父・伊東祐親すけちかなら
頑なに反対され
返り討ちになったかもしれません。
実際に襲撃されました💦


源氏の棟梁
源頼朝の舅となった時政はこの時、
平家を討つことを考えていたでしょうか。


それとも
源氏の棟梁の血を引く孫が生まれ、
徐々に野心が芽生えたのか。


野心なら頼朝も同じです。


いずれ起ちあがる時に
援助してくれる者が必要で
政子を選んだのか?


とにかく頼朝挙兵に
時政の大きな財力が物を言ったのです。

北条政子の母親 兄弟

北条政子の父・北条時政には
何人かの妻がいました。


政子を生んだ母親の名前は
定かではありませんが、
わかっている最後の妻、牧の方は
一説には政子より年下だったとか。


そういうことで政子には
たくさんの兄弟姉妹がいます。

北条政子家系図

政子の弟・北条義時

政子が兄弟の中で
一番頼りにしていたのは
弟の北条義時ではないでしょうか。

北条義時


父・時政が失脚したあと執権に就き、
鎌倉幕府を支えてくれました。


このあと
16代執権北条守時まで130年間
北条家は栄えます。

北条政子の子供や子孫はどうなった?

鎌倉幕府の
初代征夷大将軍となった頼朝と政子には
2男2女の子供が生まれます。


しかし娘二人は病気で亡くなり、
頼朝亡き後将軍になった
長男・次男は暗殺されるという
悲劇が起こりました。


特に痛ましいのは次男・実朝
長男・頼家の子・公暁くぎょう
命を奪われたこと。


自分の生んだ子が
一人残らず死んでしまった政子の悲しみは
計り知れません。


追い打ちをかけるように
孫たちも政子より先に死んでしまい、
政子が亡くなる時
存命だったのは竹御所だけでした。


その竹御所は難産で母子ともに死亡。
ここで政子の子孫は絶えてしまうのです。

ちなみに頼朝と大進局だいしんのつぼねとの子、
貞暁ていぎょうは仏門に入り、
彼の死によって頼朝の血も絶えました。

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まとめ

北条政子の夫・源頼朝が鎌倉幕府を開き、
政子の子が将軍に、
北条家は執権に就きました。


それから130年間幕府は存続し、
北条家も栄えました。


すべて政子から始まった
といえるでしょう。

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