女性天皇・推古天皇即位の背景に蘇我馬子が関係していた!

推古天皇

女性天皇であった推古天皇
聖徳太子を摂政にするなど
有能であったといわれています。


でも蘇我馬子そがのうまこがいなくては
推古天皇は誕生しなかったようです。


そんな推古天皇と
蘇我馬子の関係を
家系図も一緒にみてみましょう。

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推古天皇は日本で一番最初の女帝

推古天皇の功績はたくさんありますが、
特筆すべきは
日本で一番最初の女性天皇
だということでしょう。


推古以前には
力を持った神功じんぐう皇后などはいましたが、
正式に天皇の座に就いたのは
彼女が初めてです。

推古天皇と蘇我馬子の関係は?家系図を見てみよう

推古天皇の時代は
蘇我氏が力を持っていました。


特に蘇我馬子の代は絶頂期で、
54年間も権勢を振います。

推古天皇家系図


家系図からもわかるように
蘇我馬子の姉妹は天皇に嫁し、
子を生しています。


つまり推古天皇と馬子は
叔父と姪の関係になります。


馬子は天皇の外戚になることで
一層権力を持ったのです。

蘇我馬子

推古天皇が即位した背景

推古天皇は
異母兄妹の敏達びだつ天皇と結婚し、
皇后になります。


その頃
崇仏派の蘇我氏と
廃仏派の物部もののべ氏は対立していました。


そして敏達天皇が亡くなると
蘇我馬子が推す用明天皇
即位するのですが、
物部守屋もののべのもりやはおもしろくありません。


そこで用明天皇の兄弟で
天皇になりたがっていた穴穂部皇子あなほべのみこ
守屋は手を結びます。


この穂部皇子は
素行が悪く鼻つまみ者でした。


在位2年で用明天皇が疱瘡で亡くなると、
守屋は穂部皇子を
即位させようと企てますが、


同調するものはなく馬子たちに
穂部皇子ともに攻め滅ぼされます。


この騒動のあと即位したのが
穂部皇子の弟・崇峻すしゅん天皇です。


同時に推古は皇太后になりました。


崇峻天皇は
自分を推してくれたのは馬子だと
わかっているのですが、
あまりの専横に
馬子に対し殺意を抱きます。


それを察知した馬子は崇峻を消します。


歴史上唯一の
「天皇■し」
が起こったのです。


こんな大事が起こっても
馬子を責める者はいませんでした。


馬子はそれほど強い力を
持っていたのですね。


崇峻天皇崩御のあと
天皇の座に就ける資格のある男子は
何人かいたのですが、
皇族、群臣の誰もが納得できる者は
いませんでした。


そこで白羽の矢が立ったのが推古です。


はじめは固辞していた推古ですが、
自分の息子の竹田皇子たけだのみこ
譲位するつもりで受けたようです。


馬子にしても姪の推古が天皇になれば
意のままにできると踏んだようですが
そうはいきませんでした。


そう推古が
聖徳太子を摂政にしたからですね。

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まとめ

一番最初の女性天皇の推古と
蘇我馬子は叔父と姪の関係でした。


そして馬子が推したから
推古は天皇に就けた、ということでした。

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