聖徳太子はなぜ推古天皇の摂政になったのか?

推古天皇

一番最初に
女性天皇になったのは推古天皇で、
初めて摂政を置いたのも推古でした。


その摂政は
みなさんご存知の聖徳太子です。


聖徳太子とは後世に呼ばれたもので、
厩戸皇子うまやどのみこというのが本当の名前です。

1986年までお札に描かれていたので
聖徳太子の方が
わかりやすいという方も多いので、
ここでは聖徳太子で
表記させてもらいますね。

スポンサードリンク




推古天皇と聖徳太子

593年
推古天皇は39歳で即位します。


推古は自分の息子の
竹田皇子たけだのみこが成年になれば譲位する、
つまり中継ぎの天皇になりました。

ところが竹田皇子は
推古が即位すると同時に
亡くなってしまうのです。


腰掛のつもりだった推古天皇は
考え直します。


そこで自分を補佐してくれる
摂政を置くことにしたのです。


摂政に選んだのは
当時19歳の聖徳太子。

聖徳太子


聖徳太子と推古は
伯母・甥の関係になります。

推古天皇家系図


太子は幼い頃から聡明で仏法を尊び、
学問にも秀でた人物で
推古にも信頼され、
皇太子にもしました。


推古天皇は
「朕は女人なり。性、物をわきまへず。
宜しく天下の政は、皆太子に附くべし」


私は女で物事をわきまえていないから、
政治はすべて皇太子にまかせる―
という詔を発したのです。

推古天皇vs聖徳太子vs蘇我馬子

摂政を設置したことを
時の大臣おおおみ蘇我馬子は
どう思っていたのでしょう。


「女の推古だから天皇に推したのに
摂政を置くなどもってのほか。
ましてや聖徳太子とはどうしたものか!」

なんて言ったかどうかわかりませんが、
当時蘇我馬子は42歳で
聖徳太子は19歳。


大叔父と大甥の関係であって、
太子の賢さは馬子も一目置いていました。


推古天皇は太子を摂政にすることで
専横な馬子を抑えつけたのです。


先代の崇峻すしゅん天皇をあやめた馬子です。


自分にも害が及ぶかもしれないと
脳裏によぎったでしょう。


そのために
蘇我氏と他の豪族たちとのバランスを
巧みにとりながら
太子の才能を発揮させたのです。


結果的には仏教や儒教を取り入れ
国の興隆に努めた太子に
崇仏派の馬子は協力的でした。


しかしそこはしたたかな馬子。


太子が亡くなると推古に
「元は蘇我氏のものだった
皇領地を返してもらおう」
と要求します。


それに対し推古は
「そんなことはできない。」
と拒否したという
エピソードが残っています。

スポンサードリンク




まとめ

蘇我馬子の思惑で即位した
推古天皇は賢明な女性で、


馬子に対抗するために
聖徳太子を摂政にしたようです。

コメント

タイトルとURLをコピーしました