光明子(光明皇后)とはどんなひと?

光明子(光明皇后)

光明子こうみょうしとは
「光り輝く子」という意味で
名付けられました。


後に天皇に嫁ぎ光明皇后となり、
天皇を支え
「国母」と呼ばれるようになります。


そんな光明子は
どんな女性だったのか、
彼女の横顔を見ていきましょう。


ここでは光明子で表していきます。

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光明子(光明皇后)とは

光明子は
45代天皇、聖武天皇と結婚します。

聖武天皇は
あの東大寺盧舎那るしゃな仏像、
つまり奈良の大仏を建立した人物です。

奈良の大仏

一説には
大仏建立を進言したのは
光明子ともいわれ、


彼女は他にも
多くの慈善事業をしています。

701年誕生
716年のちの聖武天皇と結婚15歳
718年のちの孝謙天皇を生む17歳
720年父・藤原不比等死亡19歳
723年興福寺に施薬院と悲田院を設置22歳
724年夫・聖武天皇即位23歳
727年基王を出産26歳
728年基王が死亡27歳
729年長屋王の変が起こる
立后される
28歳
740年藤原広嗣の乱が起こる39歳
741年国分寺・国分尼寺建立が始まる40歳
744年聖武の男児・安積親王死去43歳
745年法華寺が造られる44歳
747年新薬師寺を建てる46歳
749年娘・孝謙天皇即位48歳
752年東大寺盧舎那仏像開眼供養51歳
756年夫・聖武崩御 
正倉院を創設
橘奈良麻呂の乱が起こる
55歳
758年孝謙天皇、淳仁天皇に譲位する57歳
760年6月7日死亡59歳

光明子(光明皇后)の系図

光明子の父は藤原不比等ふひと


不比等は大化の改新の中心人物、
藤原鎌足かまたりの子。

つまり光明子は鎌足の孫になります。

光明皇后系図


藤原氏が大きく繁栄した時代でしたが、
光明子の生んだ男子は夭折し、
代わりに娘が即位します。

それが孝謙天皇です。

万葉集の光明子(光明皇后)の歌

光明子が生きた時代は
遣唐使からもたらされた
仏教や大陸の文化など
大きく花開きました。


書道がそのひとつで、
光明子が書いた書が
今も正倉院に保存されています。


歌を詠むこともあったようで、
最古の和歌集・万葉集に
4首とられています。
そのひとつを読んでみましょう。

我が背子と二人見ませばいくばくかこの降る雪の嬉しからまし

【通釈】
あなたと二人で見たら、
どれほどこの降る雪が
嬉しく思えたことでしょうか。


この「あなた」は
夫の聖武天皇のことですね。

万葉集

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まとめ

仏教を重んじた光明子は
民のために悲田院などを造り、
慈善活動に邁進する一方で
歌を詠むなど教養も高かったようです。

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